焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

#2/16 ラスト・オブ・アス

今日に至っては12時過ぎまで寝ていたので、午前のある程度の勉強を確保するため学校に行く必要性を再認識。明日は行くかな。

 

そんなわけで学校には行かなかったのですけど、どうやらHの授業、今日が最終回だったようです。起きてから気づきました。実際には東大志望者にはまだ何かやるらしいですけど、私が受けられるようなものは最後です。少しやらかしてしまった感じがあります。何が問題かって記事に出来ないこと。受けていたなら「感動した、涙が出た」のような適当な感想が書けましたけど、受けずに家でソシャゲをやっていた今日の私には特段書けるような話がありません。困ったなぁ。「Hは心のなかで生きているんだ」という言葉でまとめておこうと思います。

しかし実は、言えば私たち用に枠を設けて、模試形式の授業をやってくれるみたいです。でもさすがにそれに志願はしないかな。そもそも受けたくないから学校に行かなかったわけだし。悲しさがあります。

 

これは自戒の文章ですが、最近、学校に行かなくなって現実で人付き合いしなくなったことが原因でしょうか、友人のオタク的キモさが増してきています。それは良いのですが、そんな友人と会話をする私自身も、オタク的に物凄く気持ち悪い感じの発言をしてしまっていて、後に振り返って猛烈な自省の念を抱いたりしてます。「僕は◯◯ちゃん!!」のようなスカッとした爽やかなキモさならまだ良いのですが、なんだかドロドロとした沼のようなキモさがあります。語る対象が個々のコンテンツではなく、アニメ一般とか、そもそもオタク一般だとかにシフトしている。なんというか、穿った見方をしている。そういうとよく聞こえますがこれが悪い方向に作用していて、オタクの上に立つオタク、キングオブオタクといった感じで、オタク世界の外部、もしくは内部にありながら他とは違う高潔さをもった有識者がオタクを評する、というよりは、よりレベルの高い質の悪いオタクがオタクを語る、というような、気分が悪くなる感じ。非難するような文章ですけど、これはあくまで自戒で、単に良くない傾向だなぁと思っただけです。