焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

#11/13 罪の在処

案の定、熱だけ引いたものの風邪は継続していて、特に喉の調子が悪く、ひどい声になっています。あと鼻も詰まってしまっていて、歯を磨く時など、窒息しそうになりました。

 

今日のH、チョークののりがあまり良くなかったらしく板書の文字が薄くて、そこで「薄いのはいやだな……」と小声で言っていました。残念ながら薄いんだなぁ……

 

土曜日には模試が行われるので、化学の参考書を一冊買ってきました。友人がおすすめしていたものです。その友人が友人なので(有機の帝王)さして期待はしていませんが、化学に関しては特に絶対的に演習量が足りないと思うので、しっかりやっていきたいです。繰り返し言いますが、某彼のようになりたくなければ、そろそろ勉強を始めねばなりません。ほんとやばい。

 

今日考えていたことをメモ。

世の中には色々なオタクがいます。でも彼らはそれぞれで種類が違って、それを一括りに扱うのはなんだか違う。で、その彼らを分類するうえでの定義がよくわからない、うまくいかない。私なりに考えてみたところ、おおまかに3つの条件をつけられました。

第一に、許されるかどうか。言い換えれば、その人のキャラにあっているか、住むべき世界がここにしかないのか、という点です。例えば、普段教室の隅のほうでおとなしくしているタイプの人間は全く問題ないですけど、アッパーな人たち、部活で言うとサッカーだとかソフトボールだとか、そんな集団に属す人たちは、こんなものに手を出すべきではありません。早々に引き返したほうが良い。

第二に、孤独であること。オタク文化を通して他人と関わることが主目的となっている、そのように見える人は、よろしくない。オタク文化というものがネットに強く依存しているからでしょうか、特にtwitterなんかでそう感じます。一人で見て、一人で堪能すべきです。決して表出させてはならない。

第三に、真摯であること。長年オタク生活をしていると、やはり一個や二個は"自分にとって、永遠に保持せねばならない作品"というものが見つかるものでしょう。今季やっているアニメを見て、それが終わると全て終わったものとなってしまう、そんなのはよろしくない。

これらの定義で、大体のものは仕分けられたと思います。例外は出来る限り認めたくはないですが、多少は生じているのかな。もっとも、結局こういったものはその人の人格によるような気もするので、全てに当てはまるわけではない、というのはしょうがないことでしょう。

こんな風に仕分けをして何がしたいのか、と問われると、少し窮してしまいます。畢竟するに、「にわか死ね」に落ち着くような気もしますが、それとも少し違います。"間違い"が"正解"としてまかり通っているのが看過ならないのです。間違いは訂正しなければ。

「そんなことを考えている方が気持ち悪い」という意見もあると思いますが、それは承知しています。というより、承知しているからこそ、オタクなのです。全ての考えの根底として、オタクであることは、気持ち悪いことの必要十分条件である、というものがあります。オタクは気持ち悪いものなのだから、それを勘違いされては困る。どうも最近、そんな当たり前の共通理解が為されていない傾向を感じます。中途半端なのは一番良くない。