焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

冬休み1 購入厨という忌むべき言葉その他

本日のお勉強報告、祖母の家に行った際に地理の参考書を持って行きましたが、なんだか気恥ずかしくて読めずに終わり、家に帰ってからは化学の参考書を少し"見"ました。

時間操作、空間転移、こういう能力、かっこ良くて、羨ましいですよね。でも、それらを実現させようと思ったら、やはり勉強しないとならないわけです。案外それらの能力は高校で習うレベルの知識を用いていることが多い(憶測も混じり)。でも勉強の目的をそこらに見出すほど、あまりこういう表現は使いたくないが、痛々しい人はあんまりいないのかな。あーあ。

ちなみに僕の夢は不死の薬を作り出すことです。生に執着しているのではなく、魂の固定というか、そういうの。素直に消えてやるのはごめんです。

 

そういえば、少し遅れて過去の自分からクリスマス・プレゼントが届きました。18歳になってからは初めてです。冬休みを使ってしっかりプレイしていきたいです。

 

あなたには、急に目の前が暗転して、立っていられなくなってしまう、そんな経験がありますか? 私には有ります。例えば座ってPCをいじっている時、飲み物を求めて台所へ行こうとすると、急に何も見えなくなって、動けなくなってしまう。学校に行っている時でもこの症状はあって、それこそ壁を使わないと立っていられないような。目はしっかり開いているのに、その中身が伴わない。最近私が多用する、実感と直感に差異がある例の一つです。

以上、立ちくらみについての話でした。最近また悪化しています。

 

美少女ゲームをやるオタクは、オタクである以上、購入して楽しまなければならない。たしかにこのご時世、ゲームの種類が多すぎて、いちいち全部買っていたら即破産してしまうだろうので、興味程度で割ってプレイするのはこの際目をつぶりますが(メーカーの立場はともかく、私は一消費者であるため)、自分の中で特別な一本とするような作品について、割って楽しんだ以上でない程度のオタクがそれを特別指定して、ある意味での生きていく上での指標とすることは、見苦しいことこの上ありません。というかそれで満足なのか? 購入すること、物品そのものを所持していることがステータスで、そういった価値を自分に付加していくことで業を深めていく。業というと悪く聞こえますけど、仮に美しさ、ありきたりなものでは奥行き、と呼ぶのでも良いです。購入した時の満足感はかなり一般的な概念で、そうやって市場経済が成り立っている感じまであるのに、なぜ美少女ゲームを割ってプレイするオタクにはこの類の話が通じにくいのでしょうか。我慢ならない。のうのうと美少女ゲームの感想を語るオタクを許容できない。正義はこちらにあるので、徹底的に糾弾、弾劾していく。

これは前々から思っていたことですが、こんなことを急に書き始めたのは、前述のクリスマス・プレゼントが、正規品なのにディスクチェックに引っかかってプレイできていない現状があるからです。いやもうどうにかして欲しい。

追記:ディスクチェック回避プログラムが同梱されていました。やっぱりメーカーはわかっているんだ。神プロダクトを神プロデュースする神プロシェッショナルなんだ。

 

オタクに対しては、絶対優越権を持っているつもりで生きています。オタクはオタクである以上、オタクを敵視して、さながらバトル・ロワイヤルの場を呈するような。でも、群れるよりはよっぽどマシかと。見てくれも醜いですしね。