焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

#10/29 素敵滅法即脱法

私の身の回りの人間が、何故か気づいたら身体の各所から出血している、という謎の症状に見舞われていて、しかもそれは徐々に感染しているみたいで恐ろしいです。これが噂のエボラ出血熱ですか。

 

朝、ぼーっとしていると、Hが担任のD組の生徒が遅刻して登校してきていて、それを見たHが「遅れてるじゃん!お~そ~い~よ~!早くこなきゃ!」とか言っていて、ほっこりしました。なんだか楽しそうです。遅刻をすると問答無用で居残り掃除をさせられる私のクラスとは大違いだ。出来ることならHのクラスに配属されたかった。そうなっていたらなっていたで色々ひどいことになるとは思いますけど、単純に楽しそうだし、卒業式の時に名前を呼ばれるのならやはり彼が良いです。最近Hに対する好感度が鰻登りになっています。授業が最近なかったからでしょうか。授業することで好感度を下げて、バランスをとっている、難儀な感じです。明日早速授業なので、きっと明日の記事はHに対する悪口になるでしょう。

 

今、というよりこの瞬間、特に理由はないですけど、なんだか溢れんばかりの幸福に包まれています。私の世界に悪意は存在しない。刹那的な多幸感、麻薬でもやったような感じです。シアワセだった彼女は夢を見る、このまま漠然と生きていたいと思います。でも、論理だけに生きるのは息苦しい(そんな杓子定規な生き方に価値はあるのか、それはまっとうな人として認められるものなのか)し、感覚のみに頼って生きるのは馬鹿らしいし、面倒だ。ならばどうしたら良いのだろう。行動をしないこと、こういう結論しか、私は思いつきません。それこそ本末転倒です。わからなくなってきました。こういった思考が、厭離穢土だとかそういう発想に帰着するのでしょうか。仏教やりたい。