焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

モノローグ11

最近赤本を買いました。まだ志望校を一つに絞りきれていないので、奮発して二冊買いました。この類の受験教材は、読んでいるだけでいよいよ高Ⅲだという自覚が多少なりとも湧いてきて、勉強に対する意欲が持てたりします。このことも一因たりえますが、ここ最近は漸く勉強する行為に好印象を持つことが出来てきたような気がします。やはり、どんなフィールドにおいても、他人と自己の才能を比較しあえることは楽しいです。競争なしでは生きられない人間の性を垣間見た感覚です。

ところで、前述の通り勉強に対する意欲は湧いてきましたが、すべての教科についてそう言えるわけではありません。具体的には、古典、英作文、数学全般、生物、地理については、知識が有機的に結びつく快感を味わい始めています。しかし、現代文、英語の長文読解、化学に関してはそうではありません。このうち、現代文と長文読解はどちらかというと教師の質に起因すると私は評価しています。しかし、化学は教師ではなく、科目自体の問題な気がします。

そもそも私が物理ではなく生物を選択したのは、生物という教科に単純に興味があったという理由ももちろんありますが、物理特有の、文字公式に現象の数値を代入していく作業に生理的に嫌悪感を抱いたからです。 何故と言われても困りますが、とにかく私の肌にはあわない、いずれ大学でやらねばならないことかもしれませんが、それでも先延ばしにしたいものでした。その点生物は上手く物理との住み分けが出来ていて、私に適切なものでした。どうも生物といえば暗記科目とみなされる傾向がありますが、実際はそうとは限りません。確かに暗記事項が多いのは仕方ないことですが、試験では暗記事項のみを問われる問題はほとんど出ないでしょう。知識を用いて難解な実験結果について考察を重ねていく作業には快感を覚えます。これは現代文の記述にも通ずるところがあると思います。しかし現代文よりも自分の知識に起因する面が強いので、より自力で考察している感が出て楽しいのです(ただの暗記科目でないことは理解して欲しい)。

話は化学に戻りますが、私は化学にこの生物的な面を持った科目だと期待をしていました。有機なんかは割とこんな傾向だと思います。しかし、実際はただただ暗記するだけの無機、私が一番嫌う物理的な文字公式を用いる気体、など、どうあがいても面白く無いような内容ばかりでうんざりします。もっと楽しくサイエンス出来る教科を作って欲しいです。化学の真髄はこんなものでは無いと思います。

 

下校している途中にこのことを考えていました。思い出せたので良かったですが、家に帰ると書こうと思っていたことを忘れてかけていました。最近こういうことが多いです。睡眠不足でしょうか、ストレスの溜まりすぎでしょうか。まさか若年性アルツハイマーではないと思いますが不安です。往時の記憶力を取り戻したい。失われた記憶を求めて。