焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

冬休み3 AVGと教会

やっぱり、最も人に訴えかける媒体とは、AVGだと思います。

本に代表される、単なる文字媒体の場合、読者の想像力を喚起させるといえど限界があって、良くない言葉ですがひとりよがりなものになってしまう。逆に、映画に代表される動画媒体では、そこで表されるものが全てであって、介入の余地がない。こうなると視聴者の心はあまり動かない。そこで、AVG。文字の持つ力を兼ね備えながら、めまぐるしく移り変わる背景、臨場感を際立たせるSE、そしてBGM。プレイしてみないとわからないところもありますが、すべての要素が有機的につながって覆いかぶさってくるイメージ。素晴らしいと思います。

 

教会は、どうして人の心に訴えかけるのか。

荘厳だから、といっても普段神を信仰していない人間が、そこにだけ神を感じ、懺悔する、違和感があります。思うに、教会そのものに威圧されているのではなく、そこにいる(いなくとも概念的な)人々の思いに打たれているのでは。例えばパイプオルガンで演奏される賛美歌、賛美歌自体よく耳にするようなもので、特別な技巧で演奏されているものでもない。奏者にも大した熱はこもっておらず、淡々と調べを奏でている。まさしく、日々の労働、とでも言えるような演奏。それは、畢竟するに、"祈り"なのでしょう。人々は信仰によって祈り、そして労働する。それの積み重ねが教会という形であり、それゆえに教会に足を踏み入れると、こちらまで信仰をしたくなるような気持ちになる。神の存在なんてどうでも良くて(とはいえ無論大前提である)、"祈り"という形こそが重要だ。

私は別段教会に通っているわけでもなし、今まで2,3回くらいしか入ったことはありませんが、あの形に憧れに似たものを抱いてはいます。最も美しい生き方では(美しいが、優れているとは言いがたい)。ただ、日本の教会ってなんだか胡散臭いですよね。それの理由が単なる文化の違いだとしたら、少し物悲しいです。

 

あ、ちなみに今日はまぁまぁ化学をやりました。