焼き栗日記

愛情と憎悪とを狂気で接合しています

#6/27

高Ⅲという時期は難しいもので、母親に勉強しなさいと言われるのが鬱陶しくて二階に篭っていたところ、寝てしまっていました。これはブログ更新が遅れたことの言い訳です。

 

今日の体育で怪我して鼻血が出ました。私は鼻血を出したことが殆ど無く、思えば中学に入ってからは一回もなかったような気がします。友人がよく鼻から血を出しているのを聞いて「なんだかやばそう」と思ったものですが、出る時は出るものなんですね。今でも若干鼻が痛いです。

その時思ったのは、何をもって「大丈夫」と言うべきなのかということです。私などはどんな怪我を負わされても「大丈夫大丈夫」と言ってしまいますが、よく考えたら鼻血が出ている以上大丈夫でもなんでもないわけで、損してる気がします。ちょっと前に、私に鼻血を出させた彼が私に激突した時は、さぞかし痛そうにしながら睨んできたのですが、これといって実害はなかったので、それはやはり「大丈夫」だったと思います。どっちも私は事故だと思っているので彼を恨んでいるわけではないですが、やはり複雑な心情ではいます。「大丈夫」とは本来体の状態を表す言葉であろうのに、その人の性格を表す語として用いられているのは不思議です。

 

数学の時間、いつもその時間は宿題で出された問題を生徒が板書しておいて、それを教師が解説していくものなのですが、今日は私が当てられていました。宿題はやってきていなかったので、地理の時間に内職して解きました。

今回はその問題が簡単だったということもあって、一から全て自力で解きました。やはり私が自力で考えただけあって、解答があまりに美しい、明晰極まりないものでとても興奮しました。どことなく教員も私の解答に惚れ惚れしているように感じました。まさに明晰、数学の真髄といった感じです。当然間違っている箇所もなく、教員も全く訂正を施さずに丸をつけました。そんな私の解答を「ぐちゃぐちゃ」とほざいた友人Sは明晰でないので数学得意を自称することをやめるべきだと思います。